代々木監督作品のレポート第2弾
「サンプルを見てコメントを…」の続報である。
アテナ映像社から、「ザ・面接 VOL.108 女社長は太いのがお好き 離婚妻 あそこ濡らしてごめんなさい」と「ザッツ回春エロエステ 2 心の奥までイジッてあげる」のサンプルが送られてきた。
前回、
事務室でサインを頂いて帰るとき、監督からさらに、「よかったら作品についてのブログも書いてもらえないかな、サンプルとして送るからさ」と言って頂いた。
と書いたが、正確には以下のような会話であった。
「これからも、よかったら作品についてのブログも書いてもらえないかな、定期的にサンプルとして送るからさ」
前回あえて言葉を濁したのは、一般的にこのような約束は“一回こっきり”で終わることも少なくないからである。
もちろん、
監督を信じなかったわけではない。
だが、この約束が成立するためには、こちらも相手の望むものを提供する必要がある。
私も、「商品の宣伝よりは純粋な感想を書きたい」とは言ったものの、それに納得していただけるかどうかは、やはり出来上がった結果次第であり、ただ“書けばいい”というものではない、ということくらいわかっているつもりである。
だからこの第2弾が送られてきたのはうれしかった。
もちろん、監督(あるいはアテナ映像社)が律儀に約束を守っていただいただけなのかもしれないが、それでも、キャッチボールが成立したようで、うれしい気持ちは抑えきれない。
その期待に応えられるよう、またレポートを書きたいと思う。
まず、「ザ・面接 VOL.108 」と「ザッツ回春エロエステ 2 」の比較であるが、これらは究極の“陽”と“陰”という言葉がふさわしいと感じた。
「ザ・面接 VOL.108」は、これまでは曲がりなりにも“面接”という場面設定を演じていた部分があったと思うが、今回のはもう最初から、『乱痴気騒ぎ』と言うか『乱交モード』と言うか、下手な状況設定を意識せずに最初から乱れまくるということに徹していたかに感じる。
もしかすると、出演する女性にあわせてそのたびにシナリオを作っているのかもしれないが、それであったとしても、今回のはすこし路線が変わった、と言うか、新たな路線に入った、という感じである。
監督は「心の開放」をテーマに撮影を続けているのだが、普通、いきなり「心を開放せよ」と言われても、すぐにできるものではない。
だからそのための雰囲気作りのために“面接風景”というのを利用していたのだと思われるが、今回のは、より一層その風景の利用度が減った、というふうに言えのだと思う。(催眠術をかけるのに、それまでは5円玉を必要としていた人が、指の動きだけでできるようになった、という感じ(?))
アダルトビデオの存在目的は、マスターベーションのネタを提供することである。
そして
最も質の高いネタとは、
男から見れば
“本気で感じているオンナ”を見せる
ことであり、
ビデオ監督はいかに女性にその気にさせるか、
ということが監督としての能力の差ということになろうかと思う。
私が代々木監督に興味を持った理由の一つに、「なぜプレイボーイ社はあれほどブランドが高いのか?」という疑問があったからである。
プレイボーイ社もアテナ映像社も、アダルトビデオを作っているという点では変わりはない。だが、プレイボーイ社のバニーマークのネクタイはオシャレといわれているのに、アテナ映像社のネクタイは誰もつけていない(それどころか売ってもいない)のは、どこにブランドの差があるのか、ということをずっと考えてきた。
あえてアテナ映像社という名前を出させてもらったが、どこの日本のアダルトビデオメーカーであっても、同じことが言えるであろう。
おそらく理由の一つに、
日本では「性は“陰”なものであり“隠すもの”である」
という扱いであるのに対し、
欧米では「性は“自然なもの”」
という捉え方の背景があるからではないかと思われる。
だが、
日本でも時代は変わってきた
のではないかと思われる。
一つは、高校生の性体験率が(一説には「中学時代ですでに」という説もあるが)すでに50%を超えていると言われている時代に、もはや「性は“隠し切れない”」という現状の認識が必要なのではないかと思われる。
また、女性が堂々と性欲についても語れる時代となってきた。
このような中、アダルトビデオメーカーも、単なる男性向けのマスターベーションのネタの提供ではなく、正しい知識と正しいあり方の提供が求められてきているのではないか、そういう気も最近してきている。
「人の心の開放」と言うと、とかく「素直になること」とステレオタイプ的に思われがちだが、
“素直なこと”と“わがままなこと”は違う
ものであり、
そのことを教える環境がまだ育っていない、
ということが大問題なのではないかと思う。
TPOという言葉があるように、時や場合によって態度や意識を変える必要がある、ということは社会の常識だが、「心の開放」も同じで、甘えることが“許される”ときと“許されないとき”の意識の切り替えが必要となる。
おそらく、そのあたりがまだ日本人の苦手とするところであろうから、だから最初から「甘えない」と貫き通したり、逆に切り分けられずに「セクハラ」のようなことを起こしてしまうのではないかと思われる。
そういう意味では、最初から
性に神話性を持たない今の若者のほうが、よほど心を自由にできる
可能性があるのかもしれない。
そして
アダルトビデオもその『求められるもの』が変わってくる
のは間違いないであろう。
だいぶ横道にそれてしまったが、今回の「ザ・面接 VOL.108 」は、よく言えば「楽しいパーティー」、悪く言えば「ステップの省略」という感じで、作品としての好き嫌いは分かれるかもしれないが、シリーズとしては異色になるのか今後の新たな路線となるかは不明であるにしても、新たな境地として楽しめるのではないかと思う。
もっとも、私個人的には、監督には申し訳ないが、Vol.93~96あたりのノリの方が好みである。(少なくとも現時点では)
次に、「ザッツ回春エロエステ 2」であるが、
正直これはもうアダルトビデオではない、
と断言してもよさそうなものだと感じた。
内容がマジ過ぎる。
“ドキュメンタリー”の域を越え、これはもう
“学術資料”である。
おそらくそう遠くない将来、
心理学や人間学の資料として活用され出すだろう、
と言い切れると思う。
この作品は、
人類学的見地からみた、原始共生社会時代の再現実験、
と言ったいい方になるのであろうが、
ほんの100年前まで当たり前に行われていたことをやってみる、
ということがいかに大変か、ということのレポートであると言えよう。
作品のテーマは、「男も心から感じることはできるか」といったことであるが、♪「意地が男の杖なのさ」という歌のフレーズもあるとおり、男であれAV男優であれ、意地があるから達成できるは多数あるし、自分にもそういった経験もある。
そしてプロだという意地があるから、普通の人以上にパワーが出る。
だが、
「今だけプロをやめてごらん」
と言われて、スイッチを切れる人は、本当にマレではないだろうか。
一度ゆるめたスイッチは、もう元には戻らないような気がして、だから「ゆるめるのが怖い」と感じる人も多いし、それゆえそれが強迫観念となって、ますますゆるめられなくなってしまうのだと思う。
しかし、プロと言われる人は、意地だけで能力が高いわけではない。
もともとの能力も高いのだから、適切なオン/オフのトレーニングをして要領をつかめば、いつでも切り替えることができるようになるはずである。
おそらく心の開放も、
- プライドを捨ててもいい場所かどうかを見極めること
- プライドを捨てなければならない時かどうかを見極めること
- そして、条件がそろえばいつでもプライドを捨てられること
の三つを適切にトレーニングすれば、人はもっと自由になれるような気がする。
作品でも少し触れられていたが、日本もわずか100年前までは、性に対しては本当に自由であったし、それだけ「心の開放」ができていたようである。
明治時代に入ったときに西洋文明を見て、それまでの日本的なものはすべて否定することで日本は追いつくことを考えてきたが、今や追いついて今度は誰がリーダーになるのかと問われているときに、もう一度日本はよかったところを取り戻していくべきであろう。
それが新たな日本の在り方だと思うし、もしそのようなリーダーがいなければ、世界、いや地球はもう維持できなくなるのではないかと思われる。
たかが
アダルトビデオ、
であるが、
心理学の最前線
と捉えれば、
世界を変えるきっかけに最も近い場所、
ということで、
今後とも動向はウォッチしていきたい。
そして、オベッカを言うわけではないが、最も最先端にいるのは、やはり代々木忠監督なのではないかと思うし、だから自分は監督に興味を覚えているのだと思う。
