角川庭園の横でタコ焼き屋がオープン

角川庭園オープニング速報』の続きである。

隣近所だからこそ気が付かないことがある。

隣近所といっても目の前になければなかなかその変化には気がつかない。まして、通勤通学路からはずれていると。

いつの間にか、角川庭園の横でタコ焼き屋がオープンしていた。

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門の横に何やら怪しげなプレハブが。

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店の名前は「ギャラリー茶房 (かど)」という。

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店の門構えはこんな感じ。

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コーヒーとタコ焼きがあうものなのかわからないが、メニューから見ても明らかに“タコ焼き屋”だ。

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杉並の芸術基地「角川庭園」にふさわしく、“タコ焼き屋”と言えども芸術活動が必要なのか?

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営業時間は上記通り。

毎週水曜日が定休日。隣の角川庭園が休園なのだから当然だろう。

時間は、平日は11時から14時、15:30から20時。土日休日は11時から20時まで通し、ということである。

ちなみに角川庭園は9時から17時までやっている。

息子君に、いつからあったのか聞いてみた。

「たしか、俺が進級した頃からやっていたような…」って、「お前、角川庭園のオープンが5月なのに4月からやってるわけないだろ!」

いかに我が子が情けないかということがわかったが、「でも、前は建物がなくてそのままでやっていた」という情報は得られた。

長女に聞くと、「近所のタコ焼き屋があったでしょ、あれがここに移動してきた」との情報も得られたので、早速見に行ってみた。

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たしかにそうであった。

ここがこれから名物になるか、それともやがて消えていくかはわからないが、「角川庭園」の歴史を飾る大事な記録としても、このブログは貴重なものになる・・・・のかな?

カテゴリー: プライベート — Masamichi 16:53

第32回(2009年)北千里高校文化祭に行ってきた

私は、大阪府立・北千里高校の卒業生である。

しかも、3期生なので、私が入学したときに始めて1年生から3年生までそろったから、最初に歴史を刻んだ最古参と言ってもいいだろう。(自分で言うのも何だが)

しかしそんな私の感傷とは関係なく、時は進み、今では創立32年目ということらしい。つまり、私が入学してから、もう29年経った、ということである。

私は学生時代には『科学研究部(縮めて「科学部」)』というのに所属していた。私が1年生のときに設立メンバーとして参加し、最初の年は“同好会”として、翌年には正式に“部”として承認され、以来、今日まで続いているようである。

私は今年の春から仕事で大阪に単身赴任していることもあり、時間もヒマもあるので、今年は“”久々に文化祭に行くことにした。20年以上ぶりである。しかも、科学部は今でも続いている、という噂も聞いていた。。。

しかし、一人で行くのは少し小恥ずかしいので、科学部OBで作っているメーリングリストに呼びかけたところ、11期生の二名が来てくれることになった。

この二人とて、当然私が現役時代には知る由もなく、OB会を通じて知り合ったわけであるが、今では私の人生における大切な仲間となっている。(なってくれている、多分)

先に感想を述べると、、、。

一般に「今の若者達は…」という発言は、その後には、「私が若いときに比べてダメである」という意味がほとんどであるが、今回私が現役高校生を見て感じたのは、「今の若者達は、

俺たちの時代より進んでる!

」と思った。

ちなみに、“進んでる”と言っても、「俺たちの時代は童貞率&処女率が99.9%なのに対し、今では50%以下である」とかそういう意味ではない。(99.9%かどうかはともかく、私のときは本当に高校時代に初体験をする方が遥かに少なく、「うる星やつら」がギャグとして成立する時代であった。)

たしかに、あくまでも私が見た印象だけなので統計データなどではないが、1年生ですでに私の時代の3年生くらいの体つきがあるような気がする。男女とも身長と足の長さは伸び、女の子は胸のサイズなどもそれなりのような気がする。

さらに女の子を見ると、メークをしていた子もいたのであろうが、髪型やアクセサリーなども自分にあったものであればそれなりに輝くので、そういうのを選んだり、意識するレベルがあがったのかもしれない。

イメージとしては、同じ15歳でも日本人とアメリカ人ではアメリカ人の子の方が大人びている、という感じが、30年前と今で起こっている、という感じである。

ただ、外見だけでなく、文化祭についても、少しずつ前の年のいいものを取り入れていった結果なのかもしれないが、20年以上たつと、それになりに洗練度が上がっている、という印象を受けた。ポスターのデザインしかり、出し物しかり。

また、わずか数名とは言え、今回科学部の現役生とも話をする機会があったのだが、彼らの知識や考え方などは、自分が現役の頃に比べると、やはり一歩大人びいているような印象を受けた。まぁ、科学部は昔から“ヲタク”が集まるので、たまたま今年もそういうメンバーだったのかもしれないが、それでも30年前の自分と比べると、明らかに彼らは私より上だと思う。知識も、考え方も。

高校生の彼らを見て、未来は明るいと思った。

私は科学部の創立メンバーであるから、当然当時は何でも“開拓”しなければならなかった。もちろんそれが今の私の財産となっているのであるが、一方、当時も当然、所詮はクラブ活動なのだから“やらない”、という選択肢もあったわけである。

だけど私は、この“開拓”が好きだったし、面白かったわけであるが、それは、ひとつは創立メンバーなので何もなかった、という環境の影響もあったのかもしれないし、国民全体がそういう意識を持っていた、という時代だったのかもしれない。

しかし今回、現役高校生達を見て、自分達の時以上の“スピリット精神”を見たような気がする。

すでに32期なのだから、今は『学校設立時だから』という理由はないだろう。

私は、若者達は大きな時代の波にのまれてもっと意気消沈しているのではないか、と思っていたような気がする。しかし今回彼らを見て、なんのなんの、

しっかりバネにして実力をつけている

と感じた。

2009年9月と言えば、ほんの一ヶ月前には「自民党から民主党へ政権が移った」歴史的な年として刻まれる年である。そんなさなか、「

最も感受性の高い高校生達は、どうやら“スピリット精神”にあふれていそうだ

」ということは、これほど国家として、また、地球人類として、頼もしいことはない。

我々中年世代は、こうした彼らを導き、育てていくことを改めて誓うべきだと思う。

現役生の彼らがこれを読めば、「先輩、それは俺達を買いかぶり過ぎっすよ!」と言ってくるかもしれない。だが、私としては、「先輩として、今の君達は十分育てがいがあると思った」と感じたので、ぜひとも、科学部にこだわらず、北千里高校にこだわらず、若者と会う機会を今後は持っていきたいと思う。

2009年9月19日、文化祭の報告

天気は秋の快晴で、暑くもなく寒くもなく、最高の日取りだった。

国立循環器病センター写真

なんと言っても、北千里高校を語る上で避けては通れない場所である。

昔は、この「国立循環器病センター」という看板がなかったため、初めて行く人は『この建物が北千里高校だ』と間違えていた。

場所的にはこの建物の一段下にあるのでほぼ同じであるが、大きさがまったく違うため、駅からは見えておらず、目の前に来て初めて気がつく、という学校である。

学校までは駅から歩いて約1km。そこそこ距離があり、毎日通う学生にとってはつらいかもしれないが、散歩には最高であった。

校門

自分たちのころはこのような看板があったかは今ひとつ覚えていないが、何にせよいい雰囲気である。

校門付近の雰囲気は変わっていなかった。建造物なので変わりようがない、とも言えるのだが、無味乾燥な一方、今でもこの無味乾燥さが残っていて逆に懐かしかった。

11:30過ぎに学校に着き、11期生の2名と職員玄関で合流した。N君は奥さんと1歳くらいのお子さんを連れてきていた。

tshirt

私らの頃はオリジナルTシャツを作ることなどなかった(知らなかった)が、11期生の頃はすでにやっていたらしい。現役生に聞くと1枚1200円程で、「業者が売り込みに来る」とのことから、今ではどこでもやっているのであろう。各クラスごとに様々なデザインがある。

もちろん、迷わず科学部へ直行である。

ポスター1

ポスター2

ポスター3

ポスター4

やはり、我々の頃と比べればポスターの洗練度は上がっている気がする。

お目当ての科学部は、私の時代は2Fの物理実験室にあったのだが、現在では隣の物理講義室に移っていた。

案内板

我々の時代には、科学部と天文部は別々だったので、科学部がプラネタリウムをすることはなかったが、だいぶ前から融合しているらしい。

このプラネタリウムも、もともとは天文部のものだったらしいが、今では科学部名で管理しているとのこと。

プラネタリウム

一見オモチャみたいだが、学習に必要な程度の星はちゃんと映る。

もちろん見るときはドームの中に入る。

天文ドーム

大型送風機で風を送ることで膨らませており、骨格は入っていない。風が止むとしぼんでペタンコになる。

なかなか現役生は勉強しており、通り一遍等のことは説明できていた。

上映時間

1回あたりの説明は15分くらい。春の星座から順番に、夏、秋、冬、と、あれだけ説明できれば合格点であろう。

そして、科学部の文化祭に歴史的に伝わっているものがある。

airhockey

手作りのエアーホッケー!掃除機を改造して送風してパドルを浮かす。私らの頃もやっていたし、今でもやっている。数年おきに作り変えているようだ。

こういう遊び心も伝統として伝えてもらいたい。

kossetsu

私らの頃はここまでやらなかったが...(^.^;)

今回、なかなかアカデミックな出展もあった。

asobikata

クッションボールの遊び方

ペンで印をつけた2カ所の焦点にビー玉を置き、一方をフェンスに向かって軽く指ではじきます。すると楕円の原理によってはね返るビー玉はもう一方のビー玉に衝突します。ビー玉をはじく方向を変えてみましょう。フェンスのどの位置ではね返ってもビー玉は焦点に向かいます。

ball

私もやってみたが、なかなか面白かった。

文化祭の出展ではないが、10年ほど前からの科学部の伝統となったものがある。

chikutan

kanban

『竹炭作り』は私も話しに聞いていただけなので実態は全然知らなかったが、体育館からテニスコートに行く階段の途中でこのような小屋があり、そこで今でも活動しているらしい。

科学部らしい、と言えば、このようなシーンも見かけた。

syuuri

修理作業をする1年生。

もちろん、他のクラブでも備品が壊れれば修理はするだろうが、“修理すること”が“目的”となっているクラブは、やはり科学部くらいであろうか。

一応、OBらしいこともしておいた。

thankyou

もっともOBらしいこと、それは、学生達の前で偉そぶること?(^.^;)

君たちに伝えたいことが二つある。

一つは、今でも科学部を続けてくれてありがとう。

もう一つは、科学部では何をしてもいい。自分の好きなことを見つけるために使って欲しい。

もちろん、部費の足しを置いていったことは言うまでもない。

勢いのある若者たち

せっかく来たのだから、少し他のも見ようと、体育館に寄ってみた。

そこでは、『ダンス部』と『吹奏楽部』の演技がなされていた。

dance

私らの頃は『ダンス部』などなかったし、最近できたのであろうが、何といっても圧巻だったのはその人数である。

およそ上記写真の人数の3倍くらいはいるようである。

ダンスの腕は、プロの目から見れば“まだまだ”なのだろうが、素人集団でないのはたしかであった。

しっかりした指導者がついているのだと思う。

blass

続いて吹奏楽部である。

これも圧巻なのは人数であった。

写真で見るとわかりにくいが、上段にいるメンバーだけでなく、その2倍ほどの人数が下段でも並んでいるのである。

まさに、「石を投げればダンス部か吹奏楽部に当たる」と言ってもいいくらいな規模である。

彼らを見ていて感じたのは、

受け身ではなく積極的に自分を表現しようとしている

ということである。

私が感じただけなのかもしれないが、文章だけでは表現できないパワーがあったと思う。

科学部の遺産

と言っても潰れたわけではないが、

antenna

私が卒業してすぐ下の世代はアマチュア無線に力を入れたことから、屋上に専用のアンテナを立てたそうである。

配線は切ってあるのでこのままでは使えないが、科学部としての名残がこのようなところにも残っている、ということを、11期生に教えてもらった。

久々にいい一日が過ごせた。

追伸:

私と11期生の2名、そして学生2名を誘い、「関大前」駅前の『(餃子の)王将』に食事に行った。

これも科学部の伝統である。

パンフレット紹介

せっかく入手したのだから、記念に掲載しておきます。

32回北千里文化祭パンフ表ミニ

32回北千里文化祭パンフ裏ミニ

(それぞれ画像のクリックで拡大表示します)

カテゴリー: プライベート — Masamichi 23:26

DSを透明ケース(クリア・シェル)に交換した

ある意味、『DSの接触不良、修理』の続きである。

この件で、自分の技術力ではDSを分解できるということがわかった。

一方、世間ではクリアシェル(交換用透明ケース)というのが売られていることも知っていた。

つまり、やろうと思えばいつでも交換できる、ということである。

だが、私はすぐには飛びつかなかった。

このクリアシェルを格好いいと思うかダサイと思うかは人それぞれであろうが、どちらにしても、

非常に目立つ

ということは言えるだろう。

しかし、私はあまり目立ちたくない。

そこでしばらくは自分で自分の行動パターンを観察することにした。

数ヶ月して、やはり自分は街中ではDSをやらない人間だ、ということを再確認した。

“いい大人”なのだからやはり街中でやるのに抵抗がある。

もっとも、家で一人でコソコソやっているのはいいのか、という疑問もないわけではないが、少なくとも街中ではやらない、ということは確実である。

で、あるならば、試しにクリアシェルへの交換をしてみようと思った。

費用は約2500円、送料込みでも3000円くらいである。

交換後のケース

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交換前の残骸

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開いたところ

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残骸を開いたところ

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はっきり言って、ケースを変えたからといって何かが変わるわけではない。

むしろ、中国製だからか、本商品よりも微妙に造りが悪く、わずかなゆがみすら感じられる。

致命的というほどではないが、やらないに越したことはない、という感じである。

もちろん、交換作業は、ネジをはずしていくだけなので比較的簡単だとは思うが、部品は小さいし慣れていないと線を切ったりしてしまいかねないので、

自信がない人は交換しないほうがいい

と思った。

あくまでも、目立ちたがりやか、自分の技術力を誇示したい人か、自己満足を得たい人だけがやるべきだと思う。

ちなみに私は、話の種、というのが一番の目的である。

ところで、

最近思ったのだが、そういえば、昔はこのようなスケルトン(スケスケ)ケースは結構はやっていたと思うのだが、最近はとんと見かけなくなった気がする。

スケルトンケースの走りは、やはり初代iMacであろう。

iMacボンダイブルー

名称未設定

だが、iMacもやがては色が増え、5色になり、10色になり、とうとう最後は“花柄模様”や“水玉模様”まで出るようになった。

その後、ブラウン管モニターが終わり液晶モニターにかわったところで、iMacもスケルトンではなくなった。

初代iMacがはやっていたころは、他社でもスケルトンデザインのものがよくでいていた。

有名なSotecのiMac類似パソコン“e-one”

(今となっては懐かしい?)

sotec1

2009年現在、時代はもうスケルトンでない方向に進んでいるようである。

DSなどでも、スケルトンデザインのものは出ていない。

むしろ、中身は見えないが、高級感があるデザインと材質を使っているような気がする。そしてその傾向はしばらく続くだろう。

参考写真

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カテゴリー: ホビー — Masamichi 15:46
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