宝塚版「逆転裁判2」を見てきた

宝塚版「逆転裁判」を見てきた』の続編である。

2月に「1」が上演され、反響がよかったからか、8月に「2」も上演されることとなった。

まず、今回も悔しかったのは、チケットの入手がマトモにできなかったことである。

前回は発売開始日を確認していなかったため、すでにインターネット申し込みは売り切れであり、やむなくヤフーオークションに頼ることとなった。

しかし今回は、インターネット申し込みの開始時間まで確認して、その15分前から待機していたが、時間が来るや否や申し込みボタンを押しても受け付けず、数分後に接続できたときは、すでに全席完売となっていた。

そしてヤフーオークションではすでに高値のチケットが並んでいた。

制限や管理は難しいのもわかるが、もう少し「本当に行きたい人」が正規料金でいけるよう、何とかならないものか悔やまれる。

私はまず、前日におさらいとして「1」のDVDを見ておいた。

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そのうえで「2」のストーリーであるが、「1」はベースになった話はあるとは言えオリジナルストーリーだったので、「2」はその続編として、さらにオリジナル性が高まっていた。

ただ、それゆえ、「オリジナルのテーストから少しそれているのではないか」と思われるような部分もあり、ゲームファンとしては評価はわかれるような気もした。

「2」なので「今回こそは“トノサマン”は出てくるのか」、「“はみちゃん”は出てくるのか」といった期待はあったが、これらは実現されなかった。(劇中の携帯電話の着信音で“トノサマン”のテーマは流れたのでヨシとしようか?)
ただ、「2」の人気キャラクター“フランジスカ ヴォン カルマ/Franziska von Karma(狩魔 冥/カルマ メイ)”が出てきたのはよかった。

この劇では参加者全員コスプレなわけだが、彼女が一番ゲームの衣装に近かったと思う。

ただ、役者としては、「13歳で検事になった天才」、「絶対負けるわけにはいかない家系」といった、彼女の不遜でありながらも偉大な雰囲気、というのが、今一つ表現できてなかったのは残念である。ムチさばきももっと「ピシッ」と音を出して欲しかった。まぁ、難しいのはわかるんだけど。。。

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この写真ではわかりにくいが、全身像は冥のスリムな体型が再現されており、出演者の中で一番さまになっていたと感じた。

今回も、ゲームファンとして一つの形の現れとして見ておいた次第である。

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パンフレットを入手したので一応掲載。(画像のクリックで拡大)


2009年10月29日、DVD版がカプコンより届いた。

これでいつでもまた見れる。

カテゴリー: ホビー — Masamichi 23:04

ドラクエ9、お仕着せのクエストがチートの原因ではないか

ドラクエ9(ドラゴンクエストIX)を娘に買い与えたので、自分もやってみた。

この9はそれまでのドラクエとは異なり、いくつかの試みが加えられている。

そのうちの一つに、“クエスト”と“宝の地図”というものがある。“クエスト”とはゲーム上に出てくるちょっとした課題で、内容に番号が振られているので「すべての課題をクリアしよう」というものである。“宝の地図”も同様、「すべての地図を探して集めよう」という企画である。

だが、これらの企画は、その場でできるものから滅多におきない偶然に頼るものまであり、すべてを実現するには、よく言えば「気合と根性で進める」と言えるが、メーカーが解禁日を決めてコントロールしないと実行できないものもあり、悪く言えば「メーカーのいいように踊らされる」ようにも見える。

ちなみにこの“クエスト”や“宝の地図”は、やらなくてもゲーム本編で何も困ることはなくあくまでもちょっとした余興のような位置付けである。だが、買った以上は出された課題は一通りこなしたい、というマニアもいるので、その人たち向けの企画、とも言え。

メーカーの言い分としては、「買ってもすぐに飽きさせるのではなく、より長く楽しんでもらうためのアイデア」とは言ってはいるが、世間で言われているように、やはり「買った人間が簡単には中古市場に流さないための仕組み」というのが実態であろう。
しかし、『滅多に出ない偶然を楽しむ』ためには、基本的にはそれに見合っただけの長時間をプレイするしか解決方法がない。

かつて、『滅多に出ない偶然を楽しむ』ゲームとして、ウィザードリィというのがあった。ドラクエの原型とも言うべきゲームで、RPGゲームの元祖とも言えるアメリカで作られたゲームである。

マニアはこのゲームの中で、それこそ『滅多に出ない』アイテムを探すため、何百時間もプレイした。

だが、このことそのものは、誰から指示を受けたわけでもなく、やりたいマニアが自主的にやっていたわけで、決してメーカー(作者)がプレーヤーに強要したわけではなかった。それどころか、もともとのゲームの目的には入ってないわけで、おそらく作者もそのような遊ばれ方をされるとは想像していなかったのではないかと思われる。つまり、結果的にそのような遊び方が生まれた、ということである。

だが、ドラクエ9では、逆に意図的にそれをおこそうとしているのか、いくつかの課題では、「ある偶然を5回おこすこと」とか、「何月何日に東京の新宿へこのソフトをもって実際に行くこと」といった指示があり、それが成功したら表彰される(あるいはアイテムが手に入る)といったことから、作られた“偶然を楽しむ”ことを強要されるのである。

私は、“楽しみ”を“強要される”からこのゲームは今ひとつ楽しめないような気がする、という意見である。

一方、インターネット上では逆に、プログラム操作でやってもいない課題をクリアしたことにして“楽しんだ”ことにする、というのが出回っている。

通称、チート(cheat)と呼ばれるプログラムである。

これは、セーブデータをパソコン上で書き換え、やってない課題をやったことにしたり、手に入れてないアイテムを手に入れたことにしたりして、ゲームを有利に(あるいは逆に不利な状況に追い込むなどして)ハンデをつけたりできるのである。

セーブデータの改変そのものは著作権の侵害にはならないだろうから法律的には問題ないのかもしれないが、むしろゲームとしては、クイズゲームを答えを見ながらやるようなものだから、その人の人間性が問われるという問題はある。

だから手放しにこのチート(英語で「ズル」の意味)は賞賛できないかもしれない。

だが、ゲーム自体が『このような偶然に頼ること』を課題とした場合はどうなのだろうか。

本来ならば“謎解き”を楽しむためのゲームが、メーカーの「長時間プレイさせる」という目的のために“滅多におきない偶然がおきるまでプレイすること”となってしまったらどうなのだろうか?

私は正直、チートを使う人の気持ちはわかるような気がする。

謎を解くのに“考える時間がかかる”というのならばともかく、“ただ偶然が発生するのを待つ”ために時間を使うのであれば、その分は省略したいという人がいても不思議ではない。時間さえかければできる、というだけでは時間の無駄とも言えるであろう。

今回のドラクエ9は、“たくさんの遊び方を提供したことに感謝される”のか、それとも、“余計なおせっかいばかりで嫌われる”のか、審判の日はまだ先になりそうである。

カテゴリー: ホビー — Masamichi 15:33

エコポイントってやっぱり税金の無駄遣いじゃないか?

大阪の母が5月に新しいテレビを買った。

アクオスのLC-42EX5という42型の液晶テレビである。

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2008年 3月 1日の発売なのに1年以上前の商品ということで、すでに型落ち扱いだが、阪急デパートで¥155,459-ということで即決だった。

ちなみに、本日のカカク.コムでも、同機の最安値は¥129,800-で、今でも20万円以上の値段をつけている店もあることから、まぁまぁ妥当な買い物だったと言えよう。

そこで、後日送られてきた領収書に「エコポイントの案内」も入ってたので、私の出番が回ってきた。(強制的に...)

しかし私にとっても初めてのことだったので、本日ネットで調べてみた。(エコポイント

そこでネットでのオンライン申し込みができることがわかり、入力してみた。

民間企業のサイトに比べるとまだまだわかりにくい感があるが、この手の役所のサイトにしては、かなりマシな部類だと思った。

指定どおり入力してみる。

そして入力が終わったとき、愕然としたことが二つあった。

還付率が高い!

15万円の商品で¥23,000-も還付があるのである。

たしかに、改めて意識してカタログなどを見ると、還付額も書かれており、消費者はそれを差し引いた金額で考えることができるようになっている。

だが、常識的にこの還付率は異常である。

しかも、その財源は税金なのだから、結局は自分で自分の首を締めることとなる。

浪費を誘っておいて、あとで頭割りするから、より浪費しておいたほうがトクですよ、ということを国家として行うのだから、情けない話である。

子育てのための支援は、“子供は将来の戦力”ということで、国家として育てることに一定の意義はあろう。だが、家電品にまで支援をすべきなのかははなはだ疑問である。

次に、

保証書の原本を出す?!

申請書は、最後は印刷をして、センターに送らなければならない。

その際に、保証書の原本や領収書の原本も糊付けして添付しなければならないのである。

まぁ、どちらもコピーがあれば型番や購入日は調べることができるので、コピーでも充分と言えば充分なのであるが、それにしても何と偉そうな態度か!

たしかに、偽造や重複利用を避ける意味なのはわかるが、民間の取引ではまずありえない発想であろう。

以上、何とも言えない気分なので、メモで残した。

ちなみに、交換する商品は、全部デパート商品券にした。


2009年10月20日、エコポイントで交換した商品券が届いた。

約2ヶ月といったところか。

カテゴリー: プライベート — Masamichi 14:06

2.8.4-jaにアップグレードした

アップグレードにはワクワク感があるものの、初期段階では不具合が見つかることも多いので、2.8が出た後もしばらく待っていた。

ようやく“もう大丈夫かな”と思えたので、アップした。

とりあえずの今日の日付を記録するためのメモである。

カテゴリー: ワードプレス — Masamichi 15:23

ガンダム台場に立つ!

無数のブログで報告されていることであろうが、我が家でも台場のガンダムを見に行ったので、記録として残しておく。

翌日から鹿児島へ帰省旅行に行くのであるが、上の娘は小学6年で来年受験をするかもしれないということで旅行には参加しないため、一人おばあさんのところへ行くこととなった。

東京駅までその見送りに行ったが、ついでだったのと“今年しかない”ということで、息子と下の娘を連れて台場まで足を伸ばした。

当日は大雨だったが、客足は多かった。

ちなみに、無料である。

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最寄の「ゆりかもめ・台場駅」から望遠撮影

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横から見た図

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正面から見た図

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顔面のアップ

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息子と下の娘といっしょに

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時間が来ると、首が動き煙が出る(でも頭の中はカラッポ?)

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大きさ対比として警備員といっしょに写した。

全長18mということは、人間の身長の約10倍。

人間の足が25cmとしたらガンダムは約2.5mあることになる。

そう考えればこれくらいの対比はあながち間違ってないのかもしれない。

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左肩の「東京オリンピック招致」のマークが「玉に瑕」である。

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最後に、全身像を一枚

カテゴリー: ホビー — Masamichi 15:24

知覧に行って、原爆を落とされたのには日本にも原因があるかと思った

ようやくアメリカの大統領が「原爆を無くす」と言い出したものの、未だにアメリカでは『原爆を落としたから戦争が早く終わってよかった』という意見が過半数を占めているという。

私自身、大学時代に広島の原爆ドームを見に行ったことがあるが、そのときの印象は

卑怯な兵器

ということだった。

たしかに、どんな兵器でも相手を殺傷するのが目的だし、1発で10万人を殺せる爆弾と、一人に一発必要だが10万発の弾丸を装填した銃とではどう違うのか、という見方もあるが、それでも、相手に逃げる隙も与えず一瞬で炭にしてしまうものは、人道的に許せないと思う。もっとも、戦争とは「人道」を語れなくすることだからややこしいのも確かであるが。。。

しかし、日本もまた、卑怯な兵器、と言うか、卑怯な作戦をしていたのではないかとも思った。

“特攻”もその一つでないかと思う。

もちろん、特攻を命じられて散っていった若い方々に対しては冥福を祈っているし、それを命じた首脳部に対しては怒りを感じている。

だが、攻撃を受けた側からすれば、兵士が命令で仕方なしにやっているのかそれとも自主的に志願してやっているのかは関係なく、とにかくシャレにならない方法で攻撃を受けている、という状態である。

このような例で考えるのはおかしいだろうか。

よく、刑事ドラマなどで、犯人一味を一つの建物に追い込み、銃で構えた警官が周りを取り囲み、「もう逃げられない、おとなしく出てこい」と呼ぶシーンがある。

ところが、逃げられないからおとなしく出てくると思ったら、中の人間は一斉に竹ヤリを持って警官に襲いかかってきた。

最初は銃で撃つのもためらわれたが、警官側に被害が出るようになると、警官も応戦するようになり、ところがあまりにも中の人間が抵抗して警官の被害が増えるので、警官側も一気に殲滅するために、建物ごと爆破し、中の人間を一網打尽にした、というようなことがあろうかと思う。

私は日本人だからか、特攻に対しても、そういう作戦にある程度感覚的な理解はできる。武士道に根ざした「家」を守る制度で、「自分が犠牲になることで家族が守られるなら」という心理を軍部が利用していたわけである。

だが、欧米諸国からはとても理解されないだろう、ということもわかる。

目の前で追いつめられた兵士が“窮鼠”となって人間爆弾になる、ということだと、欧米でも理解されたと思う。

だが、最初から死ぬことを前提とした作戦を、立てる軍部も軍部ならそれに従う兵士も兵士として、欧米からは『クレイジーの極み』として見られていたのではないかと思う。

戦争の目的は、相手国民の皆殺しではない。

軍事力の差を見せつけることで降伏させ、奴隷化することである。

そこで奴隷になるくらいなら死んだほうがマシ、という日本人のプライドもあったであろう。

だからこそ、圧倒的な軍事力の差に対して特攻という作戦で対応したのだろうが、今度はそれが裏目に出て、さらなる力の差を見せつけないと日本は黙らない、と判断され、それが原爆投下につながったのかもしれない。

亡くなった方、あるいは今でも苦しんでいる方に「仕方がなかった」というセリフは酷だと思う。だが、酷だから過去を振り返らない、というのでは、それこそまたいつか同じことを繰り返す危険性があり、それこそ酷だと思う。

今の時代と64年前の戦争終結の時とは共通点があるような気がする。

どちらも、指導者が責任を取ってない、ということである。

戦争の終結では、東京裁判などもあったが、それは相手国からのものであって、日本として、日本人としての責任は明確にしていないような気がする。

べつに、死刑や留置所に入ることだけが責任の取り方ではない。罪状はなく、逮捕もないが、記録として、このような立場にあったこの人はこのような判断と行動をした、という記録を残すことで、これからの為政者はどのようにすべきか、ということの参考を残す必要があるのではないだろうか。

現在では、厚労省の「年金記録」問題があろうかと思うが、これとて、誰も責任を取っておらず、過去にさかのぼって責任を調べようともしない。

罪状は時効で問われなくとも、記録としては残すべきであろう。

『戦争は悲惨なものです、二度としてはいけません』という訴えは大切なものであるが、結局こうした“おナミダもの”は、逆にいつの時代でも為政者に利用され、『悲しみを増やさないため戦う』と置き換えられ、戦意高揚しているときに戦争をするための体制を立てられて、国民が冷静になったときには反抗できないようになっている、というのが世の常である。

私自身、知覧に行くのは2回目である。

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小学校で「太平洋戦争研究会クラブ」に入ってる息子君を入り口で撮影

1回目は3年前で、そのときは私一人で行った。

今回は家族を連れてであるが、1回目は何とも思わなかったが、今回改めてこのような思いを持つようになった。

原爆記念館は、あくまでも一方的な被害者の立場だから、悲惨な記録に意味がある。

だが、知覧は、欧米からすれば加害をするための基地であった。

特攻を命じられた若者たちという被害者の場、という見方もできるが、あくまでも主権国家の中で自分たちが選んだ為政者の命令であるのだから、基本的には相手からすれば自業自得としか見られない。

このような表現方法は英霊に失礼だろうとも思うが、

逆に私は、“悲惨な状況”の展示だけをして今後二度と起こそないための検証をしていない今の展示の仕方こそ、英霊に対して“無駄死に”をさせているようでならない。

もちろん、今の私にできることは限られている。私自身が調査をするのは、現実的に不可能である。

だが、こうして意見を述べることはできる。

どんな失敗でも、結果だけでなく、検証は必要である。

高校野球を黙とうで1分間中断するのもいいが、他にもやることはあるのではないかと思う。

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カテゴリー: プライベート — Masamichi 15:24
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